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京都を愛する吉野勝秀氏から見た京都の景観
京都では明治維新以降、目覚しい発展を遂げ日本有数の観光都市として成長を続けています。
訪日外国人のインバウンド需要の拡大を行う施策が功を奏し、訪日観光客数毎年のように記録を更新し続け東京と大阪に次ぐ規模となっています。
そんな観光都市京都が世界中から高い評価を得ている理由の根幹を成しているのが、景観を守り続けるための取り組みがありますが、それを達成するには紆余曲折のプロセスがありました。
最も古くは1964年に建造された京都タワーの存在で、第1次景観論争と呼ばれた論争を巻き起こしました。
近代都市として大転換を迎えようとしていた時代にそのシンボルとなり観光の目玉としたい京都タワーでしたが、過去の伝統的な景観を残したい人々と新たな時代の一歩を踏み出したい人々との間で論争となり、これがその後の議論のベースとなりました。
1970年代に高度経済成長の時代へ突入すると戦前から制定されている美観地区や風致地区などの景観保護のための施策は残っていたものの、1950年代には建築基本法が制定され安全性の問題から伝統的な工法が違法となってしまったことも影響しただけではなく、マイホームブームも大きな後押しとなり現代的な住宅への建て替えが爆発的に進み、かつてあった町並みが大幅に減少し、後に第2次景観論争と呼ばれる論争を巻き起こしました。
1990年代には高層ビルやマンションなどの建築ラッシュが続き、美しい自然が今も残る山々の眺望景観が損なわれ、これもまた論争のひとつとなりました。
2007年には新たな景観政策が施行され、経過保全への取り組みは一気に加速
観光都市としてそのような状況に危機を覚えた行政は2004年に独自の景観条例を制定し一定の実効性と強制性を持つことになり、2007年にはよりきめ細やかに詳細な内容が付け加えられた新たな景観政策が施行され、経過保全への取り組みは一気に加速します。
建築物の高さやデザインに加えて色までも規制の対象となり、都心部を例にあげると建築可能な建造物の高さは幹線道路沿いで最大31m、それ以外のエリアでは最大15mと定められています。
吉野 勝秀より引用
これによって高層建築物は激減し、遠方の地平線や美しい山々、伝統的な建築物を遥か遠くまで眺められるエリアが急増し観光客などから大きな評価を得るまでに至ります。
市街地のほぼ全域は景観地区に指定され、エリアごとにデザインの規制も
市街地のほぼ全域は景観地区に指定され、エリアごとにデザインの規制が行われ、一部のエリアでは屋根の形状が切妻で寄棟かつ入母屋であることや屋根の葺き方が日本瓦または銅板であることに加えて、屋根の勾配の比率が数値で定められるなど詳細なレギュレーションが設けられました。
景観地区の指定がされたエリアでは、建築物の建築や増改築を行う際には、これらの基準を満たしているかを審査され市長の認定を受ける必要があります。
一方、眺望景観保全地域では東寺や清水寺をはじめとする寺院の境内からの眺めや円通寺などの庭園からの眺めに加えて、毎年多くの観光客で賑わう鴨川からの大文字の眺めなど当時は全38箇所の眺望が指定され、その周辺をデザイン保全区域に指定して標高やデザインの規制が行われるようになりました。
ネオンなどの点滅式の照明が市内全域で禁止されている
さらに街中に設置される広告についても規制が検討された後、野外広告物条例が制定され屋外の広告物はネオンなどの点滅式の照明が市内全域で禁止されているのをはじめ、都市の景観を損なう可能性のある華美なデザインの広告看板は地域によって使用できる色やデザインに制限が設けられています。
日本全国に展開しているファーストフードなどのチェーン店もコーポレートカラーによって自社のブランドを一目で顧客に視認させる看板は重要な要素となりますが、前述の指定区域に店舗をオープンする際には条例や規制を満たした他の色に差し替えたり、色を変えたくない場合は看板の規模を縮小させるなどの対策を余儀なくされましたが、逆にそれは京都限定店舗などとブランディングすることによって新たなマーケットの開拓にも成功した事例もあります。
しかし、それらの条例や規制が制定される以前にオープンした店舗では一部従来のままの看板が残っているケースもあります。
野外広告物条例は2014年9月に完全施行され、取り組みが本格化
野外広告物条例は経過措置期間を経て2014年9月に完全施行され、野外広告の面からも景観を保全する取り組みが本格化しました。
さらに京都を観光都市として押し上げる重要な役割に観光サポーター制度があります。
ボランティアによる観光振興と観光ボランティア団体との交流や連携を図るための制度で、都市基本計画に基づいて観光の魅力を発信することを目的に2011年に制定されました。
名誉観光大使や国際観光大使、おもてなし大使には著名人が就任したり地元の企業や団体が参加し、人的交流の面からも観光を盛り上げています。
冒頭にあげたように明治の時代からつづく観光論争は条例や規制の制定により終止符を打ち、世界へ名だたる観光地へと成長を続けています。
その影には、多くの人々の葛藤と努力があったことを忘れてはなりません。
最終更新日 2025年4月16日 by dksyla